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死という最後の未来

『死という最後の未来』石原慎太郎・曽野綾子(著)

 

先日、社内朝礼であるメンバーが「最近、本はネットでなく本屋に出かけて出会って買うようにしている」という話を聞いて思った。

確かに。思わぬ良書との出会いは、いつも本屋だった。

その日、自分が無意識に求めているものと波長があった物、それが目に飛び込む。レコードやCDのジャケ買いもその一種だろう。

仏教の「あらやしき」、ユングの「集合的無意識」も同義。

 

そんなことで、本屋に出かけて、波長に合う本を数冊買った。

その中の1冊、『死という最後の未来』が、まさに偶然なる良書との出会いとなった。

 

元々、石原慎太郎が好きというのもあるが、88歳の現実を生きる先人達が、いかに「死」というものを捉えているのかを知りたい。

55歳ではまだ少し早いかもしれないが、後半生において、いかに生きるか、いかに死ぬかは最重要テーマである。

 

曽野さんの話で「人間の一生は、永遠の前の一瞬。それがいつも胸にあるんですよ」という一文がある。

その一文を読んだ時、思わずしおりを挟んで本を閉じた。

 

自分が生まれる前に何百億年の過去があり、100年足らずの一瞬の輝きを放って、そこから終わりなき永遠がある。

本を閉じて、その美しさを心に染み込ませたかった。

 

途中、何度も本を閉じたくなる。これが良書なのかもしれない。

あらためて、Wi-Fi

本日は、意外に知られていないIT小ネタ。

Wi-Fiに接続しようとする時、AとGが表示されることがあるが、どちらを選択しているだろうか。

結構「なんとなく選んだら繋がったので、特に気にせずそのまま利用している」というのが多いのではないだろうか。

確かにそれで良いといえば良いのだが、私は常にAを選んでいる。

なぜなら、Aの方が速いから。

 

で、朝、ふと思い立った。いっぺんちゃんと計測したろ!と。

結論、やはりAの方が1.25倍速かった。

 

下記の表は、AとGを交互に切り替えて5回計測したもの。

1 2 3 4 5 平均
A 93.21 88.71 87.64 91.01 88.48 89.81 Mbps
G 75.71 71.09 55.67 70.15 87.72 72.07 Mbps

 

単位のMbpsとはメガビット/秒で、8ビット=1バイトなので、89.81メガ ビット/秒とは11.22メガ バイト/秒。

 

音楽ファイルのMP3で考えると、約1分1メガバイトなので例えば1曲5分とすると、Aは1秒で2.3曲、Gは1秒で1.8曲ダウンロードできるという事。

確かに違いはあるが・・・1秒で何曲?の話なのでねぇ。

とはいえ、AもGも料金は変わらないので、まぁAでしょう。

 

では、Gは何のために存在するのか?

Gは波長が長いので曲がりに強く、例えば扉を挟むとか階が違う場合も電波が届きやすいのが特徴。

WiFiルーターとの位置関係でGの選択も必要ということよね。

 

余談

昔、「ソフトバンクは電波がつながらない」と言われ続けていた原因は、「G」のような波長の長い帯域(いわゆるプラチナバンド)をdocomoとKDDIが絶対に譲ってくれなかったので、基地局を何倍も増やさないといけなかったということ。

ほんの1~2%のエリアを埋めるために、時間も費用も莫大にかけたのは、まさしく、孫の正義によるところですね。

ではでは!

真夜中のきつね

毎週末の昼食に 肉うどんを食べ続けている大のうどん好きだからこそ、今まで一度もカップ麺のうどんを食べたことがなかった。

ただ、マルちゃん「赤いきつね」がいまだ根強い人気だとちょくちょく聞いていて、一度食ってみっかと一応は買っていたのだが、この歳になると、あと人生で何回食事するかな?なんて考える。

そう考えると、どうもお湯を入れる気にはなれなかったのだ。

 

んが、昨夜。

暑くてなかなか寝付けず、夜中の1時にふと思い立った。

今だ!こんな時こそカップ麺!赤いきつねに相応しい時刻だ!

単身赴任の夜中っぽいな〜と考えながら、待つこと5分。うどんすすって腹いっぱいになったら、すぐ眠りにつけました。

 

で感想。 ・・・うん、確かにカップ麺。

ベッドについて

冬の間は夏用の羽毛布団。春からは、このサテンブランケット。

いざ夏になればオン ザ ブランケット。基本、暑がりです。

 

ちなみに、意外とベッドまわり だけ は結構こだわりがあり、高級時計とかスーパーカーとかブランド物には興味ないけど、ベッドにだけは少々お金かけてます。

関西宅、東京宅の両方にほぼ同じセットを入れているので、結構なコストがかかりますが、毎日、寝る時、起きた時の満足感が高いので、個人的にコスパは非常に良いと感じています。

 

フレームはドイツのルフ。Multi Comfort System 204.

色々見て回ったけど、デザインではrufの製品シリーズがダントツのような気が。ファブリックの質感やダイヤキルトデザイン、ブルーパープルの落ち着いた色味が気に入ってます。

素材や色、ベッドの高さ、足の素材など色々選択できます。

 

マットレスは、サータ iSeries Suite

海外のそこそこクラスのホテルに泊まると、ベッドが寝やすいなと感じたりしますが、気になってシーツをめくるとだいたいどこでも「Serta Superia Premium」と書いてありました。リッツカールトンやラスベガスのLグレードホテル等々。

それ以来、引っ越した時はサータにしようと決めてました。

 

シーツ類は、ホテルライクインテリア

ラグジュアリなホテルっぽいデザインや素材感の商品が多く、刺しゅうを入れることもできるので、シーツもピローカバーもタオル類も同じデザインで揃えてます。HJRは家族3人のイニシャル。

高密度で軽量の生地なので肌触りがとても良いです。

そんなことで、ベッドをみるたびに満足感があるので、毎朝、起きたらすぐにベッドを整えます。

見ても気持ちいいし、整えることで心も整うような気もします。

もう一つバンドをやっていた頃

若い頃の写真アルバムを見るように、最近 昔の音源を聴いている。

10年前、comogereroとは別に、jazz&FusionのKBGDというバンドでもベースをやっていた。

2年前、自宅の引越しを機に、ベースもギターもキーボードも処分してしまったけど、もう少しゆっくりできるようになったら、老人バンドでもまた始めたいな。

セーリング日和

上架整備も終わり、27℃ 晴天 風速12knot 南西。あんがとさん。

 

正しさの境界線は何か

一部のパチンコ店が自粛要請を受け入れずに営業を続けることに対して、自粛ポリスをはじめ多くの人々が嫌悪感を感じている。

パチンコ店の言い分はこうだ。

「自粛して店を閉めていたら店がつぶれてしまう」

 

それに対する反対意見は。

「多くの店が自粛している。コロナを広げるな!」

 

この状況を見ていると「トロッコ問題」を思い出す。

サンデル教授のハーバード白熱教室で有名になった哲学問題。

【トロッコ問題】

 

制御不能で暴走する電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、切り換えレバーを倒し電車の進路を変えれば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。あなたはレバーを倒すか?

つまり、5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?という問題

想像の通り、多くの人は「レバーを倒す」と答える。

哲学者 ベンサムの功利主義(最大多数の最大幸福を求める)に基づく考え方となる。

 

では、犠牲になるその1人が幼い子供だったら、自分の親だったら?となると、問題は複雑化して、確信をもって答えられない人が大半になる。

 

パチンコ店のオーナーが「店がつぶれたら従業員や家族が路頭に迷う、だから仕方ないのだ」と言ったとしても、世間は "どうせパチンコ店" というイメージによって同情しないかもしれない。

社会(5人)よりもお前(1人)が犠牲になるべき論で。

 

もし、シングルマザーが経営する小さな店だったらどうだろう。

「店がつぶれたら私と子供が路頭に迷う、だから仕方ないのです」と言ったとしたら、世間は、自粛ポリスはどうするのだろう。

 

仮に「小さな店だから被害も小さいので道理的にギリギリOKかも」というなら、シングルマザーばかり100人で経営する大規模飲食店だったらどうだろうか。

 

トロッコ問題の前提は、確実な5人 or 1人の死。

対して、パチンコ店の場合、営業を続けたからと言って確実に感染者がでるとは限らない(可能性は低い)、一方、自粛したら確実に倒産が明白だとしたら…… 「営業自粛」とは、違法でもない超非合理な脅迫で自殺をしなければならない状況に等しい。

 

一般的に、完全な営業自粛が1〜2ヵ月までなら、社会利益を優先する店や会社も多いだろう。

しかし、1〜2年ならどうか。それは100%倒産を自ら決めることに等しい。そんな時に社会利益を優先する店や会社は皆無に思える。

両極論の思考で、何が境界線になっているのかが見えてくる。

 

もちろん、営業自粛は法律問題ではないが、こういう難問に結論を出すのが、法律に基づいた裁判ということなのだろう。

また、国で言えば憲法というところか。

とはいえ、根拠となる明文化された法律や憲法すらも、当事者の自己都合によって解釈を変えがちだが。

 

自粛ポリスに同意であれ不同意であれ、少なからずすべての人がミニポリスではある。

すべての反応、コトの見方は、自己の価値観(正義感、倫理感、損得など)に基づいて生まれるのだから、ミニポリスと自粛ポリスとの違いは、社会表現の行動に出るかどうかだけの違いだ。

 

ある人は「今、世界はコロナテストを受けている」言う。

こういう時に、国としての有事体制や、企業としての資本準備。国民性、大統領・総理大臣、トップの考え方、器が色濃く現れると。

 

これは、お金もそうで、莫大な大金を持った時、ビル・ゲイツのような世界に尽くす人もいれば、色んな人がいる。

バカが大金を持ったら、大バカになるだけ、と言われる所以。

 

例の如く、話が広がりすぎたので、この辺でドロンです!

コロナショック・サバイバル

経済知見において、個人的に最も信頼をおく人物が冨山和彦氏。

 

今から10年前、巨額の負債でJALが会社更生法の適用を受けた。

その立て直しミッションにおいて、表向き 京セラの稲盛会長は象徴的だが、実際のスキームおよび陣頭指揮を行なったのが、産業再生機構トップの冨山氏だった。

 

その冨山氏の近著『コロナショック・サバイバル』を読んだ。

相変わらず文章に無駄がなく、明解かつ本質論に終始している。

 

企業再生のプロとして、財務面では損益計算書(P/L)より貸借対照表(B/S)を重視する考え方や、ステークホルダーの忖度に惑わされず、結果的に人々のためになる論理的に正しい戦略を取れる、俯瞰思考と実利主義なところが好きだ。

 

アフターコロナの大局観のひとつとして、おすすめしたい。

竹村健一が好きだった

なぜか今日、ふと、竹村健一氏のことを思い出した。

 

今の若い人は誰も知らないだろうが、昔、有名だった評論家だ。

私は、ずっと昔からこの人のことが好きだった。

 

中学生の頃(40年ほど前)、「ルックルックこんにちは」という平日8時30分からのモーニングショー的番組があった。

その中で「世相講談」という短いコーナーがあり、子供向けではないが主婦層にわかりやすい、政治経済の話をしていたのが、ジャーナリストであり評論家である竹村健一氏だった。

 

当時、政治や経済に何の興味もなかったが、なぜかこの竹村健一という人物が好きで、このコーナーを見たさ半分、めんどくさい半分で学校をズルずる休みしたことが何度かあるほどだ。

口は悪いし態度もデカい、見てくれも悪いが、子供でも納得感のある本質をついた話や、たまに見せる笑顔や愛嬌が、悪印象のすべてを帳消しにさせる、不思議な魅力を持つ人物だった。

 

その後、会社で勤め始めたころには、AMラジオ番組「竹村健一のズバリジャーナル」という短い世相評論番組をずっと聞いていたのだが、その番組内で竹村健一氏が、ふと語った一文が、今の人生に大きな影響を与えてくれたと本気で思っている。

 

その言葉とは、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。

後に、ビスマルクの言葉だと知った。

 

若かった私はこの言葉を素直に受け取り、「経験」による遅い成長より「先人」の経験に基づく洗練された知恵を学ぶ事にした。

学ぶべき「先人」はどこにいるのか?それは本屋である。

先人たちが自らの経験や学んだことを整理して、本質を紡ぎ出し、言葉を磨いて、本屋で待ってくれている。

本屋は、「本」が集まる場所でなく「先人」が集まる場所である。

それは、生涯にわたって良い影響を与え続ける気づきだった。

 

あれほど聞いてきた竹村健一氏の言葉で、今覚えているのは、その一文だけである。

それ以外の話は無駄だったのか?もちろんそうではない。

小石を積上げることに夢中になっているうち、大きなダイヤを一つ発見しただけ。石積みをしていないとダイヤも発見はできない。

 

まさしく読書もそう。何百冊を読んで一文に出会うのが読書だ。

 

その後、新幹線のグリーン車に乗れるようになってからのある日、竹村健一氏と車内で出会ったことがある。

話したい事、聞きたい事、何より「おかげさまで」と伝えたい感謝はたくさんあったが、座っている竹村氏に「いつも拝見しております」と握手を求めることしかできなかった。

その時、無意識に竹村氏より頭が下になるよう、思わずひざまずいて両手で握手を求めていた。尊敬しているから邪魔したくない。

満面の笑みで「はいはい」と握手に応えてくれたが、図らずも想いは伝わっていたのかもしれない。

 

人生の後半では世界各地でのスキーを楽しみ、ソニー創業者の盛田昭夫氏と家族ぐるみで人生を楽しんでいるようだった。

10年前から出版もなく、昨年、89歳でお亡くなりになった。

 

竹村さん、ありがとうございます。

11年後も良い日々だった

上の写真、2009/04/30。 リタイアして2年ほど遊んでいた頃。

下の写真、2020/05/02。 再び起業して10年ほど経っている頃。

 

せっかくのベストシーズンなのに、新型コロナの自粛ムードで、ゴルフへもセーリングにも出ていない。

こんなに天気が良いのにね。

で、今日は船で読書することにしたのだが、ふと思いついて、11年前の写真と、同じアングルで撮ってみることにした。

休日にハーバーでノンビリ読書。

・・・に見えるが、実は、タイマ撮影でバタバタ走りリラックス風に寝転んだ、シラコイ写真である。

ちなみに11年間で白髪になったのではない。自分なりにリタイアした「自由の象徴」として、いわゆる茶髪(古っ)にしていたのだ。

あの日読んでたのは、当時ハマった『深夜特急』のシリーズだ。

 

11年前のこの日、何を考えていたのか? 完全に何も考えてない。

新しい事業を始めようとか、ずっとリタイアしていようとか、本当に何も決めていなかった。

川の流れ…ではないが、人生の流れに身を任せようと思っていた。

どうやら、さらに良い流れに乗れたようだ。感謝感謝!

 

さて、読書。GWの外出自粛用に、本を何冊も買い込んである。

船には2冊持ってきた。いまさら『1Q84』と『ドン・キホーテ』

なにゆえ『ドン・キホーテ』か? それは、この本が世界で一番売れた本だからである。

「全世界で最も売れたベストセラー」(シリーズ合計でなく1冊として)と検索したら、この本が5億冊でダントツで1位だったのだ。

何よりその意外性に惹かれた。そして、知ってるようで知らないその人物象。激安のドンキはこの人物に何を感じ会社名にしたのか。

さらに、この本は1605年に出版された本だということ。

なんと415年前。日本では、関ヶ原の戦いや家康が江戸幕府を開いた頃に、スペインで出版された本。とっても興味がそそられる。

 

で、読み始めたら最初からめちゃ面白い。何より話の展開が速い。

『1Q84』は途中だが、先に『ドン・キホーテ』を読み切ろう。

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